9月15日

今日をほがらかに生きましょう。

今週は今までにないほどの疲れ方ですが もうちょっと頑張らなくては、です。

問題は夫の実家の草刈りですね。

でも 少し綺麗になったので あとはぼちぼちやろうと思っています。

大きな木の葉を刈ってもらうのは シルバー人材センターに頼みましょう。

これはできませんからね。

今日も早めに行って ゴミを出して お茶を入れて新聞を読んだりして ゆっくり過ごしましょう。

9月12日

今日を ほがらかに 生きましょう。

昔は夫の実家に行くのなんて苦痛でしかなかったのですが

今や 楽しみの1つとなりました。

なんでかなあ・・・

ガスは止めてあるし、エアコンはないし、そう綺麗でもないし・・

住めるような状態ではないのですが、行くと落ち着きます。

やることといったら、草むしり、ちょっとお掃除、それが終われば インスタントの紅茶を飲みながら新聞を読み、雑誌を読み、持っていったおにぎりを食べながらNetflixをみて、ちょっとお昼寝をして、それで帰る時間の15時になります。

こちらにいると 同じようなことをしていますが 途中 片付けをしたくなったり、お買い物に行ったり、ちょっと氣が散るかもしれません。

夫の実家に行くときは したいものだけを持っていって そのほかのことはできないので 集中できて 落ち着くのかもしれません。

頑張って明日も行って 草むしりをしてきます。

外仕事は 結構身体にこたえます。

9月11日

今日をほがらかに生きましょう。

先のことを考えてもしょうがない、今を生きる、今に集中するとは よく言われることで 頭ではわかるのですが 何か氣がかりなことがあると やはり それに氣を取られてしまいます。

スパッと割り切れる人、そうじゃない人、皆が同じようにできるわけじゃないですよね。

努力はしてみるけど 無理な時もあると思います。

そんな時は もうしょうがないと開き直って「ああだったら どうしよう」「ああなったら嫌だなあ」と 無理に思考を軌道修正しないで置こうと思います。

「先のことは考えない方がいいんだよなあ」と思うと それができない自分が嫌になってしまいますから。

そうなってはいけません。

9月8日

今日を 特には ほがらかに生きましょう、私。

2年前の今日 夫は亡くなりました。

夜中 亡くなった時間あたりに目が一度覚めました。

夫の友人たちからメールが届き どんどん凹む私ではありますが

今日を乗り越えさえすれば 少しは楽になります。

入院した5日から今日あたりまで 辛いなあ・・・

お墓参りに行きたいのですが 今は真っ暗なほどのお天気です。

行けそうもないなら 夫の好物など作ってお供えしようと思っています。

まず「おいしい」などとは言わない人でしたが

一緒に食べていれば 「あっ これ 好きなんだ」と思うものが数種類あるもので、

雨が降っていてもお買い物に行って材料を買ってこようと思っています。

なんでいなくなったんだろう、と今もってわかりません。

インパクトの強い人だっただけに 後々まで残照が消えません。

ほとんどの生物が滅亡しても 最後まで生き残る一人だ、と確信?していたような人だったのに。。。

9月7日

今日を ほがらかに生きましょう。

そう思っても 心身のどこかに不調があると そうはいきません・・・

人からすれば 大した問題でもないのに、沈みます。

良い本を読んで そんな時はこう考えればいいんだ、という方法を知っていても

それを実行するのは 私には難しいことです。

これから先 もっと大変な問題が起こることは必須で

今から少しずつ それへの対処法の練習か、とも思うのですが・・・

1人で 沈んでじっとするしかないです。

9月4日

今日を ほがらかに 生きましょう。

笑顔でありたいものです・・・

昨日 眼科で やはり 来週具合が良くなかったら 瞼に注射で麻酔をして切開しましょう、と言われました。

覚悟はしていましたが でも 少しは 化膿しているみたいだがなんとか薬でならないか、と期待していました。

だめでした。。。。

痛いんですよねえ、瞼への注射!

そして なんで切らなくちゃいけないんだろう。。。

膿を出すだけじゃだめなのかな。

セカンドオピニオン?として 別の眼科さんへ行って 他の治療法がないのか 診察してもらおうかと思っています。

そこでも同じようなことを言われたら 腹を括るしかないですね。

前もこのようなことがあって その時は夫がいたので 愚痴をこぼせましたが 今は一人です。お仏壇に向かって話しても 返事はないし 存在はないし・・・

いるだけでよかったんだなあ、と つくづく胸が痛みます。

「いるだけで」それだけで良かったんですね。

何も臨まず ただ「いるだけ」に感謝すべきでした。

今もいる、とは思いますが 存在を感じることはできません。

セカンドオピニオンのアイディアは 夫が授けてくれたのかな。

ありがとう。